| 写真集/indigo/水谷幹治/蒼穹舎 |
内容 写真集「indigo」は「風景写真」なのだが、これで括るのは何だかつまらないし、収まらない何かがあるように思う。直感のようなものなので言葉で説明できない。考えてしまった。巻末のテキストを編集者の入澤美時(いりさわよしとき)氏が書いている。読んでみるとキーワードがありました、「新しい風景写真」。そう、これがいいかもしれない。それでは「風景写真」と「新しい風景写真」はどの時期で区切るのか?入澤氏の文章を引用する。 写真の世界における「風景」の発見は、遅かったといっていい。日本に写真術が入ってきたのは、嘉永元年(1848年)のことであり、ダゲールによるダケレオタイプの発明公表から9年しか経っていない。当時はダゲレオタイプであった写真術も、下岡蓮杖が横浜で写真館を開業して以降は、タルボットが開発ネガ=ポジ方式のカロタイプで、複数生産が可能となっていった。しかし写真は、肖像画の伝統のなかった日本において、長い間、肖像写真や風俗写真以外ではなかった。1900年代になると、さまざまなアマチュア写真家の数は増大していった。そのとき「風景」は発見されたかもしれないが、それに自覚的であることはなかった。写真において、本当の「風景」が発見されたのは、昭和7年(1932年)に創刊された『光画』からではなかっただろうか。野島康三、木村伊兵衛、伊奈信男、名取洋之助、安井仲治などによって、写真は初めて「表現」となったのである。 とある。そうであったのか。さらに入澤氏は、加藤典洋著『日本風景論』を引用し、そして森山大道氏を掲げている。最後に「しかし、森山のワークショップで森山と出会い、その森山に勧められて初めて個展を開いたという水谷の写真は、ただ一人、違う匂いを放っている。」(テキストより引用)どう違うのかは、テキストを読んでいただきたい。読んでから、再度この写真集を見直すと「さらに新しい風景写真」が見えてきたような気がした。いい写真集であることは、間違いない。 (文責:江戸川散歩) 仕様:クロス装丁/箱入り |